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TEAM KANO戦記

美味しそうなこと、オモシロそうなことに必要以上に情熱を注ぐ人たちの記録です。スカッシュについても思いついたことを書いてみようかと。 パスワード希望の方は、実名フルネームを明記してteamkano@gmail.comまでメールしてください。

肖像権に関する考察(5) パブリシティ権/肖像権が認められないケースなど

『肖像権に関する考察(4)肖像権の本質』よりつづき)





5.パブリシティ権


肖像権には、「人格権」としての側面と、「財産権」としての側面がある。財産権としての肖像権は、「パブリシティ権」とも呼ばれる。
私はここまで「人格権としての肖像権」について述べてきた。それは、「パブリシティ権は、肖像権とは別の概念である」という立場を便宜的に取り、説明した方がよりわかりやすいと考えたからである。
これまでも何度か言及してきたが、改めてパブリシティ権について説明しよう。


芸能人・モデル・プロスポーツ選手などは、自身の容姿やパフォーマンス(演技・ポーズ・競技など)を見せることによって収入を得ている。イチローのプレーを観ることにはお金を払う価値があり、イチローをCMに起用することによって販売促進などの効果を得ることが期待できる。イチローが容姿を見せることには、「経済的価値」がある。経済的価値を持つ容貌・スキル等を備えた人に認められるのが、パブリシティ権である。

パブリシティー権を持つ人たちは、通常「興行」に出演する。興行主は、パブリシティ権を持つ人からその権利を買い取り(「出演料○○円」、「売上の○○%」、「年間○○円」といった契約を締結する)、主に収益目的で興行を主催し、入場料・放送権料などの収入を得る。
また、出版社などが写真集・DVD等を発売する場合も同様に、出演者からパブリシティ権を取得する。それなしに肖像を商的利用する行為は、非撮影者のパブリシティ権侵害になる。

収益目的の興行でなくても、観戦料金やDVD販売などによる売上が発生する場合は、商的利用である。プロスポーツ選手は、自身のパブリシティ権について適切に管理した方が良いと思う。


イチローのモノマネや似顔絵を商的利用するのは、パブリシティ権侵害にならない。これ、ホント。




6.肖像権が認められないケース

これも過去何度か言及している。判例がいくつかあるので、興味がある方は自身で調べていただきたい。

(1)不特定多数に公開される事が前提の職業における、職務上の活動

タレントやプロスポーツ選手・政治家などがこれにあたる。「イチローが、セーフィコフィールドで野球している姿」を撮影・公開するのに、事前承諾は必要ない。

ただし、その写真を販売する、宣伝広告に使用するなど商的利用の場合は、パブリシティ権をクリアする必要がある。したがってパブリシティ権や著作権保護のため、興行においては撮影が制限されることがある。また、「そこから撮影するのは危険だ」や「他の観客の迷惑になる」などの理由で撮影が制限されることがある。これらは、「人格権としての肖像権」とは別の問題と捉えるべき問題である。

「鈴木一朗さんが、家族とレストランで食事をしている姿」を、承諾なく撮影・公開するのはNG。当然ですな。


(2) 「公の場所」で、「公然たる活動」を行っている場合
不特定多数による撮影が容易に予測される、公道上における祭りのパレードやデモ行進など。パレードの背景に写っている見物客に関しても、承諾を得ない撮影・公開は問題なし。
もちろん、「パレード参加者を貶めることを目的とした撮影」などはNG。

「公務員には肖像権がない」は、都市伝説(つまりウソ)であることを最初に述べた。ただ、「公道で交通違反取締中の警察官」は、非撮影者の「社会的地位」・「活動内容」・「撮影の場所」に関して、肖像権の侵害とはされない。あとは、撮影の「目的」・「態様」・「必要性」がどうなのかを考慮し、判断される。
「職務時間外の公務員」に関しては、非公務員と同様に考えるべきである。



(3)人物でないもの

人物でないものに肖像権はない。当たり前なのだけど、「ウチのワンちゃんを勝手に撮らないでっ! 肖像権の侵害よ!!」みたいなセリフ、聞いたことあるような気もする。
動物・ビルなどの建築物(意匠権は別)・看板(著作権は別)などには、肖像権が認められない。競走馬には経済価値がありそうなんだけど、パブリシティー権も認められない。「ダービースタリオン事件控訴審判決」を参照されたし。


パブリシティー権や肖像権が認められないケースに関しては、福井健策著 『著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」』(集英社新書)が参考になる。






7.マナー・モラルの問題

「お年寄りや身体の不自由な方に、席を譲りましょう」と言うのは、「そうすることが義務化されているから」でも「しないと違法行為で罰せられるから」でもない。そうした方が、私たちの社会がより暮らしやすいものになることを経験的に知っているから、推奨しているのだ。

肖像権を「マナー・モラルの問題」として捉えるのは、そういうことである。法令のように「他者の行為を規制する効力があるもの」と混同してはいけない。


「良い写真を撮るため」には、被写体との良好なコミュニケーションが必要である。
屋外で女性モデルのポートレートを撮る時、カメラマンが用意するのは撮影機材だけではない。スキルが高いカメラマンは、日焼け止めクリーム・虫除けスプレー・虫刺され時の痒み止め・ウェットティッシュ・タオル・日傘・(季節によって)カイロなどを持参する。目的が何なのか、説明するまでもないだろう。チュッパチャップスや手品用トランプ、シャボン玉などを、撮影の小道具としてだけでなく使うカメラマンもいる。

撮影された写真から、“見える人には、見える”のは、撮影機材、撮影時の状況(この位置に銀レフ板置いて、助手がここでハレ切りして・・・など)、撮影時の設定(シャッタースピード・絞り・焦点距離・ISO感度・ホワイトバランス…)、カメラマンのスキルなどだけではない。「被写体とのコミュニケーション度」や「周囲への気遣い度」も、見える。
スカッシュの写真であれば、そのカメラマンが「どれだけスカッシュという競技を理解しているか」や「この選手はこのような状況で、どのような表情・仕草をするかといったことをどれだけ理解しているか」も読み取れる。

「良い写真が取れるカメラマンは、マナー・モラルを備えている」と考えて、だいたい正解である。





(つづく)




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  1. 2011/10/25(火) 07:12:36|
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肖像権に関する考察(4)肖像権の本質

『肖像権に関する考察(3)正当な取材行為』よりつづき)




「ねえ、今日は何をするつもり?」という問いかけが発せられたとする。
これを、「昨日みたいなバカな真似は止めてくれよ」という『問責』と取ることができる。あるいは、「ねえ、いいことしない?」という『性的な誘い』と解釈することも可能である。もちろん、語義通りに『単なる質問』と取ることもできる。

私たちは普段、前後の文脈や表情や身振りや声のトーン、あるいは「オーラ」によって、多数の解釈可能性のうちから、もっとも適切な解釈を瞬時のうちに採用している。コミュニケーションにおいて、メッセージの「解釈の仕方」は、語詞レベルではなく、非言語的なレベルにおいて受信される側に「察知してもらう」ものなのである。


「い、いや、オレは『性的な誘い』のつもりで『ねえ、今日はどうするの?』と言ったのではない。『単なる質問』をしただけだ!」と発言者が主張し、それは本心だった。しかし、多数存在する受信者のほとんどが『性的な誘い』だと受け取った場合、発信者のコミュニケーション能力は低いということになる。

一方、ほとんどの受信者が『単なる質問』と受け取ったのに、ごく一部の人が『性的な誘い』と解釈した場合、その一部の受信者のコミュニケーション能力は低いと言わざるを得ない。
前後の文脈や、発信者の表情や身振りや声のトーン、あるいは「オーラ」から、『適切な解釈』を採用する能力が不足しているのである。自意識過剰・被害妄想などと一般に呼ばれる症状もこれである。

「ごく一部のコミュニケーション能力が低い人」を前提に制度設計された社会は、たいへん暮らしにくいものになる。
包丁は、人を殺傷することもできる道具である。しかしそれは、『間違った使い方』であり、ほとんどの人は正しく便利に使っている。ごく一部の間違った使い方をする人を前提にした「包丁使用時事前申請制度」といったものの施行を、あなたは望みますか?


「暖かい波動」や「優しい波動」が身体的なレベルではっきりと受信されていれば、言語的メッセージが解釈次第では聴き手を傷つけるコンテンツを含んでいても、受信者はそのような解釈を採用しない。コミュニケーションには、語詞レベルではなく、非言語的なレベルにおいて送受信されるものがあることを前提に制度設計された社会は、とても暮らしやすいものになるだろう。
これは写真においても、同様のことがいえる。その写真が発する「オーラ」を受け取る能力は、通常の社会生活を営んでいる人の大部分が備えているものである。





さて、前回例に挙げた「Aクンの父親が撮影・公開した運動会の写真」にかけっこでビリになったBクンが写っていて、Bクンが傷付いてしまったケースを考察しよう。


運動会で父親が我が子を撮影するのは、ごく常識的な行為である。撮影場所・撮影方法、非撮影者の地位・活動内容など問題無い。そこにBクンが写っていたことも、プライバシー侵害や個人情報漏洩ではない(プライバシーや個人情報保護について説明すると膨大な字数を要するため、割愛する。このケースが問題無いのは明らかである。興味や異論がある方は、ご自身でお調べいただきたい)。


考慮すべき点は、「Bクンが、かけっこでビリになっていた姿が写っていること」である。
Aクンの父親が、「このBってヤツは、頭悪いし足も遅いし、サイテーだなw」と表現することを目的として撮影・公開していた場合は、問題有り。そうではなく、我が子自慢が目的であり、そこに『たまたま』Bクンが写っていたのであれば、問題無いといえる。
現物の写真があれば、それがどのような目的で撮影・公開されたものか、普通のコミュニケーション能力を備えている人なら、「写真が発するオーラ」によって判断できるだろう。

また、Bクンはその写真によって傷付いているので、「Bクンの人格権が侵害された」といえる。そこで、それが社会生活上受忍の限度を超えるものであるかどうかが、肖像権=「非撮影者であるBクンの承認を得ないで撮影・公開されたことの是非」を判断するスケールとなる。






ところで、あなたはどのような時に人物写真を撮る、あるいは新しいカメラ・ビデオカメラを購入するか、思い出していただきたい。修学旅行、恋人とのデート、結婚、誕生、入学式・・・・

人物写真を撮る時、どのような気持ちでシャッターを切るだろうか。



梅佳代は、「じいちゃんを撮るのは、じいちゃんに長生きしてもらいたいからです」と言った。
シャッターボタンを押すとき、カメラマンが被写体に向けるのはレンズだけではない。「あなたがいてくれるから、私はこうして写真を撮ることができます。ありがとうございます」という『感謝』と、「だから、あなたにはいつまでも元気で、幸福でいて欲しい」という『祝福』を贈っている。
また被写体となった人も、「私を撮影していただき、ありがとうございます。あなたがいつまでも写真を撮れますように」という『感謝と祝福』で撮影者に応える。

これは人物写真に限らず、「山が好きだから、山を撮る」や「鉄道が好きだから、鉄道を撮る」場合も同様である。



肖像権なるものを持ち出して他者が写真を撮る行為を制限しようとするのは、撮影者と非撮影者の間で構成される『感謝と祝福のサイクル』から弾き出された人ではないだろうか。想像でしかないけど。
違法行為と判断された「FOCUS」も、『感謝と祝福のサイクル』から外れ、間違った写真の使い方をしたのだと、私は理解した。

写真を撮る/撮られる時の『感謝と祝福のサイクル』を、できるだけ拡げる。これが『公益を図る』ことにつながると私は思う。



【本稿の結論Ⅱ】
肖像権を論ずる際、まず考慮すべきは「撮影の目的」である。それが「公益を図ること」であれば、他は子細な項目。




肖像権を論ずる前に、「写真とは何なのか?」、「人はどのような時に写真を撮るのか?」を思い返していただきたい。「間違った写真の使い方」は規制されるべきだ。正しく写真を使っている場合は、規制する方が間違っている。




(つづく)







  1. 2011/10/20(木) 21:01:28|
  2. スカッシュ
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肖像権に関する考察(3)正当な取材行為

『肖像権に関する考察(2) 社会生活上受忍される限度』よりつづき)



2.正当な取材行為

「正当な取材行為」と肖像権との関係について、事件番号「平成15(受)281」(カレー毒物混入事件肖像権訴訟)の判決文で、最高裁は以下の通り言及している。

ある取材、報道行為が他者の肖像権を侵害する結果となる場合であっても、当該取材、報道行為が公共の利害に関する事項にかかわり、専ら公益を図る目的でされ、当該取材、報道の手段方法がその目的に照らして相当であるという要件を満たすときには、その行為の違法性が阻却される。



例えば、「政治家や官僚が、視察旅行と称して公費で行ったのが、愛人との温泉旅行だった」や「国際大会に出場した代表チームの監督が、ろくにミーティングもせず毎晩カジノに入り浸ってた」ところをメディアのカメラマンが撮影し、「これってマズイんじゃない?!」と記事にして公表したケースを想像していただきたい。

撮影された当人は、撮影・公開されることを望まない。当然ですな。 その写真・記事は、政治家や代表監督の人格的利益を侵害している。うむ、違法行為だ。

でも、その写真・記事公開の目的が「個人の名誉・信用を毀損すること」ではなく、「税金を正しく使いましょう。税金を正しく使う政治家を選挙で選びましょう」や「代表強化に真摯に取り組む人を代表監督にして、選手強化を推進しよう!」といった『公益を図ることである』と判断されたとする。
そして、その撮影・公開の方法がその目的に沿ったものであるという要件を満たす場合は、肖像権を侵害しても、その違法性が阻却されるのである。



同様のことが、『肖像権とは違って、法律で明示されている』名誉毀損についてもいえる。

刑法第230条
第1項
公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。

第2項
前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。





「暴行事件があり、加害者の有罪が確定した」や不正経理・粉飾決算といった事実を公然と指摘した時、それが公共の利害に関することであり、その目的が公益を図ることと認められた場合は、名誉毀損とはならない。

「公共の利害」に係わり、「公益を図ること」が目的であるかどうか。肖像権を考える上でとても重要な概念である。これを念頭に置いて、以下を読み進めていただきたい。





⒊肖像権の本質

小学校の体育の授業は、教師や児童の姿を撮影されることを通常想定されていない。そこで写真撮影するのは『非常識な行為』なので、撮影する場合は学校や児童の承諾を得ておくことが必要である。事前承諾を得ないで隠し撮りするのは、違法行為である。当然ですな。

事前承認を得ていない隠し撮りの違法性が阻却されるとしたら、「教師による過剰な体罰を明らかにすることによって、子供たちを守る」といったケースだろう。


一方、小学校の運動会は、「父兄などが、我が子を撮影するのが常識的」な場面である。ここで撮影を制限するとしたら、運動会の進行の邪魔になる、そこから撮影するのは危険だなどの理由が必要だ。


さて、ある父親が我が子の姿を撮影し、「ウチのAクンが、かけっこで1番になりましたー!」と自身のブログで公表したとしよう。これ自体は何ら問題はない。というか、問題にする方が非常識だ。

ただ、その写真には「かけっこでビリになったBクン」が写っていた。Bクンは、ビリになった自分の姿が公表されたことに傷付いてしまった。
Bクンには「撮影・ブログで公開」の承諾を、事前に得ていない。


さあ、Aクンの父親に、非はあるのだろうか?





(つづく)






  1. 2011/10/19(水) 19:53:03|
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肖像権に関する考察(2) 社会生活上受忍される限度

『肖像権に関する考察(1) 肖像権の法的拠りどころ』よりつづき)




肖像権の「法的拠りどころ」となる判例を更にみていこう。


人は、みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する。(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照

(中略)

また、人は、自己の容ぼう等を撮影された写真をみだりに公表されない人格的利益も有すると解するのが相当であり、人の容ぼう等の撮影が違法と評価される場合には、その容ぼう等が撮影された写真を公表する行為は、被撮影者の上記人格的利益を侵害するものとして、違法性を有するものというべきである。


最高裁 平成15(受)281 判決理由より引用





以上を、前回示した。
さて、(中略)の内容が、以下である。

もっとも、人の容ぼう等の撮影が正当な取材行為等として許されるべき場合もあるのであって、ある者の容ぼう等をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは、被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性等を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。




ここまでをおさらいして、チャートっぽく示す。

(1)人には「みだりに撮影されない権利」があるが、「非撮影者の承諾なく撮影=即ち違法」ではない。正当な取材行為として許される場合もある。


(2)「非撮影者の承諾なく撮影する行為」が違法かどうかを判断するにあたっては、まず以下などを総合考慮する。
・非撮影者の社会的地位
・撮影された非撮影者の活動内容
・撮影の場所
・撮影の目的
・撮影の態様
・撮影の必要性


(3)(2)に挙げた項目などを総合考慮した上で、「承諾なしに撮影されたことによって、非撮影者が被った人格的利益の侵害」が、「社会生活上受忍の限度を超えるもの」かどうかを判断する。


(4)-a (3)の結果、「受忍の限度内」と判断された場合=「非撮影者の承諾なく撮影する行為」は、違法ではない。

-b (3)の結果、「受忍の限度を超えている」と判断された場合=「非撮影者の承諾なく撮影する行為」は、違法である。


(5)「非撮影者の承諾なく撮影する行為」が違法と評価される場合は、その写真を公表する行為も違法である。







(2)の項目に関して、いくつか「非撮影者の承諾なしに撮影しても、違法ではない」との判例がある。これは後に示す。

まず、ややわかりにくい「非撮影者が被った人格的利益の侵害が、社会生活上受忍の限度を超えるものかどうか」について説明しよう。



「酒気帯び状態で、酒臭い息を周囲に振り撒いている人」が、満員電車に乗り込んできたとする。
酒臭い息を嗅がされて、不快感を抱く他の乗客もいるだろう。

日本国憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」である。

「あなたは、私に酒臭い息を嗅がせることによって、憲法で保証されている私の『幸福追求権』を侵害した」と主張することは、できる。たぶん。

でも、「よって、あなたが酒気帯び状態で公共交通機関を利用することを、禁止する」は主張できない。きっと。


「酒臭い息を掛けられることによって生じた人格的利益の侵害」は、(そのときの状況に依るけど)「社会生活上受忍すべき」と考えられるからである。その程度だったら、お互い様だったりするし、まあ我慢しましょうやというレベルである、と。
酔っ払って大声で喚き散らしたり、汚物を撒き散らしちゃったら、「受忍の限度を超えた」と判断されるだろう。

酒気帯び状態で公共交通機関を利用することを違法としたら、飲食業の半分くらいが廃業に追い込まれるかもしれない。その方が、公共の利益に反すると思う。
喫煙に関しては、「倍煙による健康被害」が指摘され、かなり制限されるようになった。「その制限によって、私たちの社会がより住み易いものになるかどうか」がポイントだと思う。

酒気帯び状態で自動車等を運転する行為が違法なのは、論を待たない。「事故起こしてないし、誰にも迷惑掛けてないじゃないか!」という主張は認められない。他者の健康や財産に甚大な損害を与える蓋然性が高い行為は、制限されるのである。



「自分の不快や怒りを表現することによって、他者の行動を制御する」は、赤ちゃんの骨法である。「空腹や排便による不快を、自身で解決する能力を持たない赤ちゃん」は、泣いて自身の不快を表現することによって、解決能力を有する大人の行動を制御する。

「自身の不快や怒りをマネジメントし、理をもって他者の行動を制御する能力」を身に付けることを、『成熟』という。
「暴力の行使や示唆によって、他者の行動を制御する人たち」は、暴力団と呼ばれる。
「権力や肩書きによってしか、他者の行動を制御できない人」は、権力や肩書きに執着する。

「私が不快を感じたから、それを止めろ!」という言葉をしばしば口にする人は、成熟度が低いと視なしてまず間違いない。




話が逸れた。戻そう。

「非撮影者の承諾なしに、容貌等を撮影・公開する行為」によって、非撮影者の人格権が侵害された時、その人格権侵害が「社会生活上受忍される限度を超えている」と判断された場合、その写真撮影・公開は違法である。

これが、最高裁が判決文で示した内容である。


ポイントは、「写真撮影・公開が、非撮影者の承諾を得たものか、得ていないか」ではない。
「非撮影者の承諾を得ないで撮影・公開されたとき(ここまでは「前提条件」)、非撮影者の社会的地位・活動内容・撮影の場所・撮影の目的・撮影の態様・撮影の必要性などをまず考慮する。その上で、「非撮影者の人格権侵害が認められ、それが社会生活上受忍の限度を超えるものかどうか」が、「違法 or 違法ではない」を分けるのである。




事件番号「平成15(受)281」の判決において、「FOCUS」が掲載した写真を主体とする記事を、最高裁が違法としたのは、それが「非撮影者の承認を得ないで撮影・公開されたものだから」ではない。

違法とされた理由は、以下である。
(1)カメラマンは裁判所の許可を得ることなくカメラを持ち込み、隠し撮りした。
※刑訴規則215条で、カメラの持ち込みには裁判所の許可が必要とされる。これは被害者・証人等の人権保護を目的としている。

(2)掲載された写真は、手錠をされ、腰縄を付けられた状態にある人物をとらえたものである。

(3)写真に添えられた文には、腰縄を付けられた状態であることを、ことさら指摘する記載がある。

(4)取材、報道行為が公共の利害に関する事項にかかわり、専ら公益を図る目的でされ、取材報道の手段方法がその目的に照らして相当であるという要件を満たすときには、その行為の違法性が阻却される。
本件写真の撮影及び記事の掲載は、公共の利害に関する事項にかかわり、専ら公益を図る目的でされたと認められる。
しかし、本件写真の撮影方法は相当性を欠いている。また、記事の説明文も相当性を欠く。従って、本件写真の撮影及び本件記事の掲載の違法性が阻却されるものではない。




「非撮影者の承諾なしでの撮影・公開は、OK。
しかし、その①撮影方法(裁判所の許可を得ていない、など)、②非撮影者の容態(手錠され、腰縄を付けられた状態)、そして③写真に添えられた説明文(腰縄を付けられた状態であることをことさら指摘する記載あり)から判断される撮影の目的で、NG」


これがこの事件に関する最高裁の判断である。






(つづく)





  1. 2011/10/17(月) 21:45:56|
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肖像権に関する考察(1) 肖像権の法的拠りどころ

いつもカメラを持って、目の前で起こることを撮っています。
ただ街で撮っていると、関係ない人から注意されたり、小学生は「写真撮ってるし」みたいに言う。学校から「知らない人から写真を撮られてはいけません」と教育されているみたい。
許可を取っていないことが『悪い』とみなされるのが怖い。


梅 佳代 写真雑誌『CAPA』2001年4月号 特集「スナップを撮ろう!!」より




上の文章に、あなたは違和感を覚えるだろうか。
「ん? この人何言ってんの? 非撮影者の許可を得ないで撮影するなんて、悪いに決まってるじゃん!」と。



そう感じた人は、何を根拠に非撮影者の許可を得ず撮影することを『悪い』と判断したのか。

肖像権?
では、肖像権とは、何?

悪いと断定した人の中には、肖像権を説明できる人は存在しないだろう。





本稿の【結論Ⅰ】を示す。
「悪いこと=違法行為」と定義した場合、人物写真の撮影・公開に関して、「非撮影者の許可を得ていないこと」を以って、「悪い」とすることはできない。


以下にその根拠を説明する。

※注1)肖像権に関しては、「法的側面/モラル・マナーの問題/その他の側面」がある。ここでは、まず法的根拠に触れ、後にモラル・マナー/肖像権の本質に言及する。

※注2)私はこの20数年間、主に写真・印刷物作成用機材の営業・生産計画立案・資材調達を行うことによって収入を得、生計を立ててきた。この意味に於いて、私は『写真のプロフェッショナル』である。肖像の扱いに関する職業的専門性を備えていて当然、である。






1.肖像権の法的拠りどころ

肖像権を明確に定義した法令類は存在しない。そのためか、肖像権の周辺にはいくつかの「都市伝説」が蠢いている。曰く、「公務員には肖像権がない」、「芸能人にはプライバシーが…」などなど。ここ数年、私に向かって肖像権を主張した人たちは全て、「都市伝説を信じている人」だったorz....

都市伝説は「信じるも信じないも、貴方しだい」なのだが、都市伝説に拠って他者の行動を制限しようとするのは、止めていただきたいものである。





肖像権の法的拠りどころは、判例にある。


人は、みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁参照)。

(中略)

また、人は、自己の容ぼう等を撮影された写真をみだりに公表されない人格的利益も有すると解するのが相当であり、人の容ぼう等の撮影が違法と評価される場合には、その容ぼう等が撮影された写真を公表する行為は、被撮影者の上記人格的利益を侵害するものとして、違法性を有するものというべきである。





これが、「いわゆる肖像権と呼ばれているもの」である。引用は、以下の事件の判決理由より。

事件番号 平成15(受)281
事件名 損害賠償請求事件
裁判年月日 平成17年11月10日
法廷名 最高裁判所第一小法廷
裁判種別 判決
結果 その他
判例集巻・号・頁 第59巻9号2428頁
 
原審裁判所名 大阪高等裁判所  
原審事件番号 平成14(ネ)1010
原審裁判年月日 平成14年11月21日






この判決に至る事件の経緯をかいつまんで説明しよう。


平成10年7月 和歌山市内でカレーライスへの毒物混入事件発生。

林真須美が殺人罪等により逮捕、勾留され、起訴された。

平成10年11月25日、和歌山地方裁判所で林を被告人とする勾留理由開示手続が行われた。

平成11年5月19日、写真週刊誌「FOCUS」は「法廷を嘲笑う『X』の毒カレー初公判-この『怪物』を裁けるのか」と題して、上記法廷での林を撮影した写真を主体とする記事を掲載、新潮社から発行された。

この写真は、手錠をされ、腰縄を付けられた状態にある林の容貌をとらえたものだった。カメラマンは、裁判所の許可を得ることなく、非撮影者に無断で、裁判所職員及び訴訟関係人に気付かれないようにして、傍聴席から撮影した。

またこの記事には、林が手錠をされ、腰縄を付けられた状態であることをことさら指摘する記載があった(と裁判官は判断した)。

平成11年8月11日、林側は、新潮社等に対し「林の肖像権が侵害された」と主張して、慰謝料の支払等を求める訴えを提起した。

平成11年8月18日、新潮社は「『肖像権』で本誌を訴えた『X』殿へ-絵ならどうなる?」と題して、林の法廷内における容貌等を描いた3点のイラスト画と文章から成る記事を「FOCUS」に掲載し発行した。

イラスト画のうち1点は、林が手錠・腰縄により身体の拘束を受けている状態が描かれたものであり、他の2点は、林が訴訟関係人から資料を見せられている状態が描かれたもの、及び被上告人が手振りを交えて話しているような状態が描かれたものだった。

この記事の文章には、刑事事件の被告人である林が新潮社を訴えたことについて、林を侮辱し、又はその名誉を毀損する表現があった(と裁判官は判断した)。

平成11年12月6日、林側はこのイラスト画を掲載した記事に関しても、「林の肖像権を侵害し、名誉を毀損し、侮辱するものである」などと主張し、慰謝料の支払等を求める訴えを提起した。



で、「第一審:林側勝訴→新潮社側控訴、第二審:林側勝訴→新潮社側上告」を経て、最高裁の判決が出たのが平成17年11月10日。




判決内容の主要部分
を、簡潔に示す。

(1)写真を主体とする記事の出版=違法、新潮社に損害賠償責任あり。 損害賠償金:220万円(原告の請求は2,200万円)
(2)イラストを主体とする記事のうち、手錠・腰縄により拘束された状態が描かれた部分=違法 、損害賠償責任あり。
(3)イラストを主体とする記事のうち、他の2点に関する部分=違法ではない 。
違法と判決し、新潮社側に損害賠償金(上(2)と合わせ220万円)の支払いを命じた第二審大阪高等裁判所に、(2)・(3)について差戻し。





「裁判要旨」は、以下である。


1 人はみだりに自己の容ぼう、姿態を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有し、ある者の容ぼう、姿態をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは、被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性等を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍すべき限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。

2 写真週刊誌のカメラマンが、刑事事件の被疑者の動静を報道する目的で、勾留理由開示手続が行われた法廷において同人の容ぼう、姿態をその承諾なく撮影した行為は、手錠をされ、腰縄を付けられた状態の同人の容ぼう、姿態を、裁判所の許可を受けることなく隠し撮りしたものであることなど判示の事情の下においては、不法行為法上違法である。

3 人は自己の容ぼう、姿態を描写したイラスト画についてみだりに公表されない人格的利益を有するが、上記イラスト画を公表する行為が社会生活上受忍の限度を超えて不法行為法上違法と評価されるか否かの判断に当たっては、イラスト画はその描写に作者の主観や技術を反映するものであり、公表された場合も、これを前提とした受け取り方をされるという特質が参酌されなければならない。

4 刑事事件の被告人について、法廷において訴訟関係人から資料を見せられている状態及び手振りを交えて話しているような状態の容ぼう、姿態を描いたイラスト画を写真週刊誌に掲載して公表した行為は、不法行為法上違法であるとはいえない。

5 刑事事件の被告人について、法廷において手錠、腰縄により身体の拘束を受けている状態の容ぼう、姿態を描いたイラスト画を写真週刊誌に掲載して公表した行為は、不法行為法上違法である。
 
参照法条  (1~5につき)民法709条、民法710条、憲法13条 (2につき)刑訴規則215条





肖像権の姿が見えてきただろうか。ポイントは、「みだりに」と(中略)の部分である。



(つづく)






  1. 2011/10/16(日) 20:04:43|
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家元、写真雑誌デビュー!

10月20日(木)、玄光社より出版される「フォトテクニックデジタル 2011年11月号」(10月13日現在、トップページは10月号の紹介がメイン)において、ついに家元は写真雑誌デビューを果たす。





さて、それは如何なる形態においてや?



①カメラマンとして、作品を寄稿している。


②カメラメーカーの人として、インタビューを受けている。


読者投稿ギャラリーに入選し、作品が掲載される。


④ポートレートのモデルとして、水着で表紙を飾る♪










④であって欲しいというキミたちの願いはよーくわかった。が、残念ながらそれは正解ではない。







カメラ&レンズ3週間無料体験キャンペーン!に当選し、使用レポートが掲載される。
















真相は、1週間後!!!







  1. 2011/10/13(木) 20:46:17|
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タムロン60周年記念写真展 「写真家60人の『瞬間と永遠』」

家元が原則週5日通勤しているオフィスビルの1階には、フォトギャラリーがある。つまり、「何もせんでも、年50本くらい写真展を観ている」ということである。実際は、何だかんだで年80本くらい見てると思う。


その家元が、太鼓判を押す。この写真展は、観る価値高い!!!


タムロン60周年記念写真展 「写真家60人の『瞬間と永遠』」

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出品されている写真のクオリティはモチロン素晴らしいのだが、会場がまた良くってよ☆


会場の "3331 Arts Chiyoda"は、旧練成中学校を改修したギャラリースペース。
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学校だった名残りがあちこちに。
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下駄箱をそのまま利用してたり。
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入り口横は、オープンカフェになっている。
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この“懐かしさ感”は、元校舎だったというだけではないような・・・




と記憶を辿ってたら、思い出した!
サンセットブリーズ保田は、旧千代田区保田臨海学園だった。



デジャヴ感、納得。
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校庭だったところは、天然芝の公園に。








あと、もうひとつデジャブの理由があった。



社員とその家族、OBでやっていた「写真救済プロジェクト」を、一般の方にも拡大して引き続き実施するという案内を会社で見たのだが、「その場所が、ここ」だったのだ。
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覗こうとしたら、お昼休み中でした。
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そんなこんなで何かと縁のあるこの写真展、スカッシュプレイヤーでもあるテラウチマサトさんも出品している。
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『渋谷裏路地★夜景撮影会』@『かってにEOS学園祭』小澤太一さんにも再会。
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「今回ボク、オフィシャルカメラマンなんですよぉ!」と誇らしげにIDカードを見せていただいたが、レンズにはしっかり赤ハチマキが・・・


そのレンズでいいのか、オフィシャルカメラマン?!









いいのである。
CP+2001 リコーブースで開催されたイベント「シークレットライブ」には、他社のイベントを担当する写真家がそのメーカーのカメラを持って登場したり、シグマの山木社長・タムロンの千代田執行役員を始め、他社の広報担当者が多数登場している。

リコーGRシリーズのイベントに、「GRの『G』は、オレのイニシャルだ!」と豪語するニコン フェロー(元執行役員)後藤哲朗さんがサプライズゲストとして登場しちゃったり。




こういうイベントって、【普通は】リコーを使っている写真家だけしか話さないし、ましてや他メーカーの講師陣が、他メーカーのカメラを持って登壇するなんて、聞いたことがありません。

他メーカーの社員さんが登壇なんて、まさに前代未聞の超歴史的快挙!!!

でも、それを可能にしたのが、リコーのプレジデントはじめ今回のCP+の責任者の方々の太っ腹なところなのです。

少なくともあそこの会場で登壇した人はそれぞれの立場も当然あったけれども、全員『写真が大好き』という熱い気持ちを持っていたはず。

だからこそ、あのように、メーカーの垣根を超えて、歴史的なイベントをすることができたのです。





と小澤さんが書いているように「オープンでフェアな業界」だから、日本のカメラ産業は世界のトップになり、長らくその地位をキープし続けているのだと私は思う。

みんな『写真が大好き』だから、特定メーカーの利益や意地といった自己利益の追求よりも、『写真の発展』という公益を優先する姿勢を共有している。

そこが写真業界の素晴らしいところなのだ。



一般社団法人カメラ映像機器工業会のプロジェクト審議会委員長、つまりCP+主催者でもある後藤哲朗さんは、「20年にわたってスカッシュで汗を流すスポーツマン」とニコンオフィシャルサイトに紹介されている。


「オープンでフェアな姿勢」を持たない業界は、衰退していくのだよ。
タムロンは当然「オープンでフェア」だから、このような素晴らしいイベントが開催できるのだ。だからいいのである。














トークショー第一部の阿部秀之さん、某写真雑誌12月号でカメラについて語る時は『悪玉キャラ』だが、写真を語るときは『善玉キャラ』なのね。






でも、最後にちょとだけチクッと

「写真家で写真が一番好きって人はいません。山が好きだから、山を撮る。鉄道が好きだから、鉄道を撮るんです。ボクは旅が好きだから、旅を撮る。



それでいくと、『ウオズミは女好き』ってことになりますが…








ま、好きなんでしょうなw」











ということで、トークショー第二部の魚住誠一さんと石井寛子さんご来場。
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この写真撮ってるとこですな。





ポートレート撮影のテクニック、いっぱい教えてもらっちゃいました☆





そして最後に、「今回のトークショー、『撮影は、なし』になってますが、皆さんにブログで取り上げて欲しいので、ちょっとだけ撮影タイムを設けます」と♪
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さすが「広報とは何か」をよくわかっていらっしゃる☆☆☆
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メインカメラ持って来てなかったことを後悔★





トークショー後に、「さっき阿部さんが『ウオズミは女好き』って言ってましたよ」とチクったら、




「そのとーりです!


でも『ウオズミは』の後に、『服を着てない』を付けといてくださいね♪」





とのこと。






あー、何てご縁の深いイベントなんだ!!!



11日(火)まで開催してます。
写真に興味のある方は、ゼヒゼヒ!












  1. 2011/10/09(日) 03:00:10|
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U.S Open 2011

9月30日からフィラデルフィアで行われているU.S Open 2011(もちろん、スカッシュね)、今朝SQUASH TVで以下4試合を観た。

17:00 P. Barker v O. Tuominen
18:00 N. Matthew v Z. Alexander
19:00 M. El Shorbagy v S. Boswell
20:00 A. Walker v J. Willstrop


時差は-13h。フィラデルフィアの20時=日本の翌朝9時ね。



印象に残ったのは、スチュワート・ボズウェル。
プレー自体も素晴らしかったんだけど、態度が良かった。自身のキャリイングを申告する、ボズウェルのショットが決まる→ショーバギーはダウンだとアピール→レフリーの判定はGood→ボズウェルがレットにしようと提案→レットになる、などなど。
これにつられてショーバギーもアウトを自己申告するし、2人とも多少の妨害があってもアピールしないし、観ていてとても気持ち良かった。


昨年のAustralian OPENを観戦したmarrさんが、

>この日一番の盛り上がり。
>Boswell入場でスタンディングオベーション!
>OZの中で一番人気あるのってBoswellだったんだ。

と書いているのも頷ける。






ボズウェル、2000年代前半はPSAランキング一桁台だったんだけど、怪我か病気だかでしばらく休んでた。最近はなかなか勝てないみたいだけど、応援したい選手です。




ちなみにスチュワート・ボズウェル、1998年のジャパン・オープン優勝者です。この大会には、アンソニー・リケッツも参加していた(準々決勝でボズウェルに負けた)。


結構有名選手が出てるんだよね。ポール・ジョンソン、セラ・フィッツジェラルド、リサ・オビー、ヘザー・ウォーレンス、キャロル・オーウェン、レベッカ・マクリー、ラターシャ・カーン・・・

自慢じゃないけど(という枕で始まるのは、自慢話と相場が決まってる♪)家元、1986年ジャパン・オープンベスト16です。ちなみに現在香港ナショナルチームの監督やってるトニー・チョイは、この大会ベスト8か16。


家元の記憶が正しければ、抜けてるところの優勝者は以下ですな。

1983年 ザイナル・アビディーン(シンガポール)
1984年 ザイナル・アビディーン (準優勝 ピーター・ヒル)

1986年 ジェリー・ルー(マレーシア)







日本スカッシュ協会が社団法人になって変わった最大のことは、「ジャパン・オープンを開催しなくなった」だと思う。
その要因はいくつかあるのだろうけど、ヒントをひとつ出しておく。


スカッシュルールの日本語版は、冊子で販売されている(1,050円)のみである。
WSF(世界スカッシュ連盟)のウェブサイトには、英語版のルールが掲載されている。他に中国語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、エストニア語(!)もある。

現行の日本語訳は2009年版だから、原稿は電子データで存在するだろう。オフィシャルサイトを維持していくコストが捻出できるのなら、追加コストはほどんどゼロで、ウェブに日本語のスカッシュルールを掲載でき、それによって多くの人がアクセスしてルールの理解が深まるようになるはずだ。

協会は日本におけるスカッシュの発展を目的とした非営利団体だから、オフィシャルサイトにルールを掲載することに何の問題もないと思うのだが、何故それをしないのか?




その答えがわかると、いろんなことがストンと腑に落ちるのである。みんなも考えてみてね☆






この「第40回全日本選手権大会*委員長ご挨拶」みたく、血の通った人間らしい言葉を発することができる人「も」いるけど。
























  1. 2011/10/01(土) 12:45:33|
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