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TEAM KANO戦記

美味しそうなこと、オモシロそうなことに必要以上に情熱を注ぐ人たちの記録です。スカッシュについても思いついたことを書いてみようかと。 パスワード希望の方は、実名フルネームを明記してteamkano@gmail.comまでメールしてください。

主語なきマニフェスト

今年7月の関東オープン1日目、会場に行かなかった私は、横浜北会場の試合結果をSquash Wiki掲示板で知った。


2日目は朝から横浜北会場にいた。といっても主目的は観戦ではない。大会は3面あるコートのうち2面で行われ、1面は会員用フリーコートとなっていたのでそこでスカッシュすることがメインで、コートが取れない時間や観たい試合があるときだけ観戦しようと思っていた。

結局、伊藤明vs田山健司、前川宏介vs河野文平のレフリーを務めたため、純粋に“観戦”できたのは松本淳vs伊藤明などほんの少しだったが。




横浜北会場が残り1試合となった時点で、私はSQ-CUBEへと移動した。自身のスカッシュはもう終えていたし、スケジュール上SQ-CUBEでは観戦する価値のあると思われる試合が残っていたからである。

それに加え、もうひとつ目的があった。
実はこの日早朝、私は横浜北の営業開始前にSQ-CUBEに寄っていた。SQ-CUBE会場1日目の試合結果が速報されていなかったので、結果を把握するためである。その日の午前中にこうしてレポートし、『横浜北会場1日目の結果を教えてもらえたお返し』として、Wiki掲示板にリンクを投稿した。

2日目もSQ-CUBE会場の結果速報がなされていないなら、私がしようと思ったのである。実際、レポートした。




横浜北を出る時、「ここの2日目の結果が載ったドローを撮ってないけど、いいよな」と判断した。会場にはJSAの広報委員長を務める人物が本部席にいて、パソコンに向かって何やら作業をしていた。「ああ、1日目の速報は彼がしたんだな。2日目もするのだろう」と思ったのだ。


これは私の判断ミス(思い違い)だったことが後に判明する。
別にこれにどうこう言いたいわけではない。結果速報は大会主催者やJSA広報委員長の義務ではないからだ。思い違いは純粋に私のチョンボである。

ただ、試合の結果や感想を投稿した数人とは違い、彼は「結果速報ができる場所にいながら、それをしなかった大多数の人」と同類だったということ。ただそれだけ。








大会3日目、彼はSQ-CUBEにいて、前日同様大会本部でパソコンに向かって何やら作業をしていた(いや、「作業をしていた」というのは私の思い込みであって、実は何もしていなかったのかもしれない。「何をしていたのか、よくわからない」が正確かも)。




彼は今年の全日本大会実行委員長なので、以下の質問をした。

「サンセットブリーズ保田と昨年度の会場であるSQ-CUBEを比較した場合、利便性・コート数(3面⇔4面)・観客収容能力の3点に於いて、保田は『公益性が低い』ですよね?」
ここで書いたことを説明した)



彼の答えは「Yes」(そりゃそうだ)。
それに続けて、「だが全日本の会場決定は、その要素だけでなされるわけではない」と加えた。





私は質問を続ける

「もちろんそうでしょう。全日本の会場決定は、『上の3つの公益性の低さを補って余りある別の公益性』があるという判断に基づいてなされたのですよね。

で、その『別の公益性』とは、何ですか?」





これには答えが得られなかった。
彼は「私の個人的意見を述べるわけにはいかない」と言った。







「個人的意見を述べるわけにはいかない」ということなので、「JSA御中」を宛先にして同様の質問を、例えばメールで出したらどうなるだろう。



結果はみえている。
協会事務局長(常務理事 有給職員)から

「その件につきましては、大会実行委員長からご回答させていただきます」

という返事が来るのだ。無限ループ。




もちろん、これは私の憶測である。「そんなことないだろう?!」と思われる方は、実際にメールして確かめてみてはいかがだろうか。













今朝、選挙結果の報道をみていたら(別にみたいわけじゃないけど、TVを付けるとやっている)、投票日の10日前に内田樹が書いていたことを思い出した。




たまたま自民党のマニフェストを家人から手渡されたのでそれを読む。それを持っていると何か忌まわしいことが起こる「呪われた紙片」でもあるように、「はい、あげる」と私に押しつけて走り去ってしまった。


ぱらりとめくって読む。こ、これは凄い。蓋し名文と言うべきであろう。

「戦後の日本を、世界有数の大国に育てた自負があります。しかし、その手法がこの国の負の現状をつくってしまったことも、近年の行き過ぎた市場原理主義とは決別すべきことも自覚しています。

これからは、『国をメンテナンスしていく』時代。現実を正しく変えるのは、現実を直視するリアルな政治。

改める。これが自民党の決意です。」




なるほど、マニフェストがなかなかできあがって来なかった理由もわかる。これは彫心鏤骨の名文だからであるこれを起草するためにどれほど細心の注意が払われたか、行間から窺える。



主語がないのである。最初の文を見よ。

「戦後の日本を、世界有数の大国に育てた自負があります」

この主語は当然「自民党は」でなければならない。しかし、それを書くと、次の文の「その手法」は「自民党の手法が」と解されるおそれがある(当たり前だが)。

しかし、「自民党の手法がこの国の負の現状をつくってしまった」とは書けない(書けよ)。それゆえ、「負の現状」の有責性は「その手法」という、誰のものとも知れぬ、非人称的、抽象的なものに帰されることになる。



同じ操作は次の文でも行われる。「近年の行き過ぎた市場原理主義とは決別すべきことも自覚しています」。

ここでも当然のように主語が言い落とされている。「近年の行き過ぎた市場原理主義」はあたかも一個の生物のように、勝手に日本に入り込んできて、さんざん悪さをして、当の自民党もそれにはたいへん迷惑をしているのだと言わんばかりである。

事態の有責性は「市場原理主義」という抽象概念に帰される。もちろん、この世に「私が市場原理主義です」などと名乗って出る人間はひとりもいないので、「主義」を有責主体に名指すということは、現実的には誰の有責性も追究しないということを意味している。

そして、念の入ったことに、この邪悪なる「市場原理主義」との決別の喫緊であることは「自覚」という動詞によって受け止められている。先の文の動詞は「自負」であり、今回は「自覚」である。どちらも「自ら・・・する」を意味する。

このような動詞のことを文法的には「再帰動詞」という。主語を示すことができない(する必要がない)ときに、再帰動詞は用いられる。「自負」というのは、「誰からの負託がなくても、誰からも信認されなくても、私は私に負託し、私を信認する」ということである。「自覚」というのは、「誰に教えられなくても、誰に示されなくても、私は自分で自分に進むべき道を指し示すことができる」ということである。



ものごとを「決める」主体がないままに、ものごとは「決まって」ゆく。誰がそれをなしたかが問われぬままに、既成事実が積み重なってゆく。「空気」だけが場を主宰しており、行動の主体が明示されない。


このような風儀をかつて丸山眞男は「超国家主義の論理と心理」において剔抉してみせた。東京裁判で、日独伊三国軍事同盟についての賛否の態度を問われたとき、木戸幸一元内大臣も、東郷茂徳元外相も口を揃えて、「私個人としては、この同盟には反対でありました。」「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事にはなり行きがあります」と答えた。

けれども、彼らはその「個人的意見」を物質化するための努力は何もしなかった。大日本帝国最高首脳たちのあまりの無責任ぶりに苛立った検察官は小磯国昭元首相に対して、意地の悪い質問を向けた。

「あなたは1931年昭和6年の三月事件に反対し、あなたはまた満州事件の勃発を阻止しようとし、またさらにあなたは中国における日本の冒険に反対し、さらにあなたは三国同盟にも反対し、またあなたは米国に対する戦争に突入することに反対を表し、さらにあなたが首相であったときにシナ事件の解決に努めた。(・・・)すべてにおいてあなたの努力は見事に粉砕されて、かつあなたの思想及びあなたの希望が実現されることをはばまれてしまったということを述べておりますけれども、もしもあなたはほんとうに良心的にこれらの事件、これらの政策というものに不同意であり、そして実際にこれらに対して反対をしておったならば、なぜあなたは次から次へと政府部内において重要な地位を占めることをあなた自身が受け入れ、そうして(・・・)自分では一生懸命反対したと言っておられるところの、これらの非常に重要な事項の指導者の一人とみずからなってしまったのでしょうか。」


小磯はこう答えた。
「われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するというのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります。」

「個人的意見」より「も国策」は上位次元にある。だから原理的に「国策の決定」は個人とは無縁の出来事なのである。どのような政策を採用しようと、それが「いやしくも国策」であるとされる限り、政治家には「努力する」以外に何の選択肢もない。

だから、その国策がどれほどの災厄を国にもたらしたとしても、政治家個人には何の責任もない。東京裁判のときの戦犯たちのエクスキューズはほとんどそのままのかたちで今日のマニフェストに繰り返されている。



裁判記録の引用のあと、丸山はこう結論している。

「ここで『現実』というものは常に作り出されつつあるもの或は作り出されて行くものと考えられないで、作り出されしまったこと、いな、さらにはっきりいえばどこからか起って来たものと考えられていることである。『現実的』に行動するということは、だから、過去への繋縛のなかに生きているということになる。」

(丸山眞男、『現代政治の思想と行動』、未來社、2006年、109頁)



丸山が60年前に記したこの言葉はそのまま「現代政治」に適用することができる。わがマニフェストに横溢する「主語の欠落」は、単に「自民党的なもの」を超えて、この国の政治風土の本質的なものを指し示している。

どのような政治的過失についても反省の弁を口にせず、すべての失態を他責的な言葉で説明し、誰に信認されなくても自分で自分を信認すれば足りる。
そういうわが風土病的欲望が行間から露出している。


わずか数行でそれを開示しえた力業を私は「蓋し名文」と呼んだのである。病は深い。




内田樹の研究室 「マニフェスト」より








マスターズカーニバルはJSAが主催する大会である。この大会には、『主語がある』。
「オレ(たち)が、こういう大会をやるんだ!」という意志の存在を感じる。



一方、『全日本選手権の主語』は何なのか。。。。

私にはよくわからない。








「意見」や「意志」は、すべからく『主語』から発せられるべきものである。


これはあまりに常識すぎて、誰も口にしない。「火に手で触れてはならない」とか「空腹時には栄養補給しなければならない」というような法律条文が存在しないのと同様である。


だが、「あまりに常識的すぎて(あるいは、非常識すぎて)敢えて言われないこと」があまりに久しく言及されずにいたせいで、それが「常識である(あるいは、非常識である)」ことを忘れてしまった方がずいぶんいるようだ。

こうなると、「火の点いたストーブには素手で触れないほうがいいよ」とか「お腹が空いたらなにか栄養のあるものを食べなよ」ということまで言ってあげないとまずいのではないかと思えてくる。





そんなことを、選挙結果を伝える報道から感じた朝だった。


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  1. 2009/08/31(月) 20:12:00|
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2009麻布十番納涼まつり(4) 未来はキミたちの手に編

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  1. 2009/08/30(日) 08:21:51|
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2009麻布十番納涼まつり(3) お楽しみはこれからだ編

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  1. 2009/08/29(土) 08:15:12|
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2009麻布十番納涼まつり(2) おいしいもの編

さてさて六本木ヒルズの駐車場にクルマを停め、我々はまず「おらがくに自慢」会場へ向かった。




ごくごく一部だけど、我々が食べたものを紹介していこう。




飛騨市が提供する「飛騨牛炭火焼き(500円)」
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同じく「岩魚の塩焼き(500円)」
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家元が夏に帰省すると、庭でバーベキューするのが恒例となっている。だいたいこんな感じ。








米沢(山形県)の「玉こんにゃく(100円)」
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仙台営業所勤務時代、山形に行くとよく食べてた。なつかすぃ☆







佐呂間町の「ホタテ浜焼き(500円)」
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このビジュアルに説明は不要である。旨し☆








麻布十番まつりの目玉は「国際バザール」と「おらがくに自慢」だけではない。

麻布十番に店舗を構える銘店たちも出店を構える。





これも「TEAM KANO戦記」の古い読者にはお馴染み、「およげ! たいやきくん」のおじさんのモデルになったおじさん
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たいやきの「浪速屋総本家」 たいやきは普段から3時間待ちだったりするので、祭りの日にはとうてい提供できない。





ということで、かき氷の出店を出しているのだが、たいやき用の餡を使った金時がそりゃあもう、旨いっ!


「宇治金時(500円)」
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甘さ控えめ大人の味。

「スタミナ苑」の肉を食べると「肉ってこんな味だったんだぁ!」と気付かされる。同様に、「これが小豆の味なんだ!」と発見できる。

超オススメ☆☆☆







テキ屋エリアを軽くスルーし、いよいよ「国際バザール」会場へ。





あたりはずれがけっこうある「国際バザール」、今年の踊るヒット賞はここ
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「ラオスカレー(500円)」
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タイカレーと同系統だけど、スパイスがちょと違うかな。具はチキンとタケノコ。
適度な辛さがナイス!








インドブースでは、タンドリー(窯)を設置して本格インド料理
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ナンは窯の内側の壁に貼り付けて焼くんだね。










トルコブースではシシケバブを提供
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お腹いっぱいで食べられなかったけど、ヨーグルトガーリックソースってどうなん?!


誰かチャレンジしてくれぃー☆







(「2009麻布十番納涼まつり(3) お楽しみはこれからだ編」へつづく)




  1. 2009/08/28(金) 07:27:53|
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2009麻布十番納涼まつり(1) 概要編


「九段下寿司政のシンコを食べないと、私の夏が終らない」





山口瞳の名文句である。


現在では全国から取り寄せられるため初夏から出始めるシンコ(コハダ、コノシロの幼名)は、数十年前までは夏の終わりが旬だった。




家元は堂々とこれをパクろう。




「麻布十番納涼まつりに行かないと、家元の夏が終わらない」




昨年は行ってないので、2年越しでやっと夏を終わらせることができた。





江戸時代の麻布十番は、百石船が東京湾から古川を今の一の橋交差点まで上ってきていた海運の要所。石畳の公園『パティオ十番』は昔は魚河岸だったし、スーパーのセイフーは『末広座』という劇場だったという。

関東大震災(1923年)後は、壊滅した下町から、被害が少なかった麻布に人が移り、昭和初期には、麻布十番は神楽坂と並ぶ山の手最大の繁華街になった(『末広座』は一時、浜町の『明治座』が間借りしていた)。

戦後も映画館が3つできたり、都電が3系統も通ったり、町は繁栄を続けてたが、都電が廃止され、地下鉄の駅がお隣の六本木にできて以来、急速に衰退。そこで始まったのが、TEAM KANO戦記の古い読者ならご存じの『麻布十番納涼まつり』。



港 区の8月の最大のイベント麻布十番まつり、今年は21日(金)、22日(土)、23日(日)の3日間の開催。ジャパンジュニアとモロ被りである。

開催時間は15時から21時(六本木ヒルズがオープンした2003年から来場者が増えすぎ、警察指導でこの時間帯になった)。できれば平日の早い時間に行きたいところだ。



麻布十番まつりが始まったのは、東京オリンピックがあった1964年。麻布十番周辺には由緒正しい寺や神社がたくさんあるが、この祭りはどこの神社の祭りということでもなく、商店街の景気づけの盆踊り大会としてスタートした。

今のように、本職のテキ屋の屋台に交じって地元の商店が自分の店の前の歩道に屋台を出して、いろいろなものを売る形式になったのは1968年から。
美食の町だけあって、『レ・シュー』『ラ・コメータ』といった町内の老舗料理店が、子羊のグリル、ライスコロッケ、ペンネ等の凝った料理を店の前で売るようになり、そうしたモダンな食べ物が、江戸以来の老舗揃いの街並みと妙にマッチ。また、土地柄近所に住む芸能人や外国人モデルが浴衣姿で大勢訪れることもあって、80年代半ばには、「東京屈指のオシャレな祭り」との評判が定着する。


が 、麻布十番まつりを麻布十番まつりたらしめている最大の特徴は、何と言っても『国際バザール』だ。例年、新一の橋交差点の首都高下の公園に30カ国前後の大使館関係者が飲食&物販の屋台を出すこの催し、そもそもは1978年、麻布十番商店会の若手が祭りに何か特色を持たせようと考え、麻布十番周辺に集中している50近い大使館に、手分けして出店を口説いて回ったのが始まりである。


この申し出に最初に応えてくれたのが、仙台坂上のパキスタン大使館と、暗闇坂のオーストリア大使館 。ことに、パキスタン大使館は、大使夫人が「昔から一度日本の夏祭りに参加してみたかったの」と言い、自ら手作りのサモサの屋台で参加。
このことが朝日新聞で大きく取り上げられて話題となり、翌年以降は参加国も順調に増加。商店街の真ん中にあった駐車場の空き地に各国大使館の屋台が集められ、『国際バザール』と呼ばれるようになる。

大使館員のアブドゥールさんが出店しているバングラデシュの屋台。国際バザールにはほかにも、近くのイスラム学院が出店しているサウジアラビアなど、昔のノンビリしていた頃の雰囲気を残している屋台がまだまだある。



1991年には、空き地の閉鎖に伴い、バザールは今の一の橋親水公園に移転。祭り自体が、3日の開催期間で30万人を集める大イベントに成長し、2000年には地下鉄南北線と大江戸線の麻布十番駅ができたため、来場者は45万人に急増した(一商店街が開く祭りとしては、今や日本最大と言われている)。


そのため、各国の屋台は手作りの料理ではとても数が間に合わなくなり、大使館の通商部が推薦するプロの業者が運営を代行するようになった。

ただし業者とは言っても、たとえばインド大使館のカレーは六本木『モティ』、中国大使館の北京ダックは三田『中国飯店』、いずれも港区内の老舗の一流飲食店だから、そのおいしさは保証付き。


他 の人気屋台で言うと、ドイツ大使館の焼きソーセージ(たぶんここが売り上げNo.1)はソーセージ輸入会社のハライコ・ジャパン、フランス大使館のロテサリー・チキンは、オーブンなどの輸入会社のロティ・フランス...といったふうに、運営しているのはいずれもその国に縁の深い会社である。

中には、スペイン大使館から頼まれて毎年麻布十番祭りでパエリアを作っているうちに、一年中食べたいという客の声が盛り上がり、その声に応えるために、白金に『サバド・サバデテ』というスペイン料理店を開き、そっちが本職になってしまった、宝石デザイナーのマヌエル・ベニート氏のような愉快な人物もいる。




ただし『国際バザール』は海外旅行と同じなので、けっこう「あたりはずれ」がある。よくこんなもん食ってるよなぁって料理もあったりする。それもまた楽しいのだけど、確実に美味しいものが食べたいなら、商店街メインストリートのけやき坂寄りにある『おらがくに自慢』がオススメ☆



ここは全国各県・市町村の観光課などが、「おらがくにの名産品」をPRするために出店しているのである。おらがくにの良いところを知ってもらおうと競って美味しい食材を産直してくる。

そして目的は金儲けではなく県・市町村のPRなので、採算度外視の価格設定がなされる。これでコストパフォーマンスが悪いワケがない。



ジャパンジュニアオープンの表彰式を終えた我々は、一路麻布十番まつりを目指してSQ-CUBEを出発した。






(「2009麻布十番まつり おいしいもの編」へつづく)



  1. 2009/08/27(木) 20:31:58|
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デジャヴ

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  1. 2009/08/26(水) 21:37:21|
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♪しーかたがないのでお手紙書いた♪

ファイナル18-16というスコアからも伺われる「今年のジャパンジュニアオープンで最も会場が盛り上がった」この試合、レフリーは金澤宏さんが務めた。

彼は、これの前に同コートで行われた試合に勝った選手のコーチであり、引率者としてこの大会に来ていた。自分が教えている子のレフリー能力と、その子が担当すべき試合を考慮して、「オレが代わりにレフリーしなくては」と自ら進んでレフリーを担当したのである。



もし彼が、「これはオレが代わりにやらねば」とは思わないタイプの人間だったら?

「子どもにレフリー経験させるのも勉強のうちだよ。ミスジャッジしたって両者とも条件は同じなんだから、勝敗には関係ないし」と、この時考えたら・・・・?




かなりゾッとする想像だ。私たちはあんなに楽しい時間を過ごすことが出来なかっただろう。



特に「ジャッジが難しい試合」だったわけではない。金澤さんレベルのレフリー能力があれば、難なく裁ける内容だった。そして実際、見事なジャッジングだった。

ただ、スコアが拮抗し、多くの観客が注目していたので、レフリーにはかなりのプレッシャーが掛かったはず。低年齢ジュニアに、あのプレッシャーの中で彼レベル(=この試合を担当できるレベル)のジャジングを要求するのは酷である。







21日(金)、私は会社に半日休暇届けを出し、13時半にジャパンジュニア会場に着いた。それ以降、試合が行われている時間のほとんどをSQ-CUBEで過ごした。


3日間で私がレフリーを務めたのは10試合くらいだろうか。
その中で、自ら進んでレフリーすることを名乗り出たのは1つだけである。私は1stゲームの終わりごろにその試合を観始めた。低年齢クラスに出ている子が「勝ちレフリー」をしていたのだが、その試合を裁くのは、かなり「荷が重い」状態だった。

こりゃ、選手もレフリーもかわいそうだなと感じた私は、大会副実行委員長の小川さん(実行委員長は不測の事態により不在)に状況を説明し、「試合途中でのレフリー交代」の了解を得た。2ndゲーム後、両選手にレフリーが代わることを告げ、3rdゲームからレフリー席に着いた。



それ以外はすべて小川さんから「レフリーをやっていただけますか」と依頼されたものである。だから「なぜアイツが(こんな重要な試合の)レフリーやるんだ」という質問は、Don't ask me. It's not my matterである。




「コイツにレフリーやらせるわけにはいかない」という言葉の後には、必ず「代わりにオレがやる」が続かねばならない。


金澤さんや私は、実際そうした。
「オレが代わりのレフリーを見つけてくる」でも良いけど。








大会最終日の朝、U19 Boysのサミュエル・カンvsジン・S.W.(JSAオフィシャルサイトでは「チン」と表記されているが、ノックアップ時に韓国のクウー氏に「彼のファミリーネームはどう発音したらよいですか?」と尋ねたところ、「ジン」と私の耳には聞こえたので、こう表記する)のレフリーを小川さんから依頼されて私がしている時、こんなことがあった。


サミュエルのフォア前でのピックアップを私は「ノット・アップ」と判定し、プレイを止めさせた。
以下、サミュエルの抗議と私の返答である

"Oh, I picked up the ball."

"You didn't. Not up."

"'Sure?"

"I'm sure."

こう言われたら、プレイヤーはそれ以上抗議してもどうにもならない。サミュエルもそれがわかっているから、次のプレイに進んだ。

仮に私の判定がミスジャッジだったとしても、レフリーにこう答えられたら(少なくともその場では)引き下がるしかない。判定の是非はともかく、"Sure?"に対する『レフリーの返答』としては、"I'm sure."と自信たっぷりに言う(もしくは、"I'm not sure. Play let.")は完璧なのである。







大会2日目 U17 Boys QF 遠藤共峻vsC.Y.タン(HongKong 注:韓国ではない)の3rdゲーム、11-10で遠藤がマッチボールを握った場面で、タンのフォア前のピックアップを私は「2度打ち(キャリイング)」と判断し、ノット・アップをコールした。


これで負けが決定してしまうタンは執拗に抗議する。しかし私は毅然と

"Not up. You hit the ball twice. So, match over."

と言い放った。








初日のU17 Boys Round2 小林僚生vsK.Y.チュン(これも香港の引率コーチに発音を聞いたらこうだった)で、小林がジェスチャーで「相手はラリー間に時間かけ過ぎです」とレフリーの私にアピールした。このときは何も言わなかったが、その2、3ラリー後にやはり時間かけ過ぎていたので、

"CHEUN, don't waste time."

と注意を与えた。コンダクト・ウォーニングの前の段階の注意である。これにより、以降はクリーンに進行していった。


ここでまず必要なのは、小林が相手を指差しながらして見せた表情を、「アイツ、時間かけ過ぎですよ」というアピールだと理解することである。次に状況判断/コンダクトを的確に行うことが求められる。









日本語を理解しない外国人プレイヤーの質問や抗議に対し、的確に回答/説明/コンダクトできるレフリーが日本に何人いる?


足立美由紀さんはできる。
ハーディング史子さんは、しばらくレフリーをしていないみたいだから、ジャッジングのカンを取り戻せばできるだろう。

丹埜論、岡田賢がレフリーしているところをあまりみたことがないのでよくわからないが、彼らのベーシックな能力からしておそらくできると思う。佐野公彦、土田博史あたりもできるだろうか。


他には、指折り数えられる程度しか存在しないと思う。









3月の全日本ジュニアの前、学連委員が運営のお手伝いをすると聞いたので、「じゃ、この機会を学生レフリーのレベルアップに活用しようよ」と私は浅野雅さんらに呼びかけた。当初の目的とベクトルはズレたが、それなりの成果はあったと思う。

5月のPSA大会では、レフリーボランティア(一応、報酬あり)を依頼された。「PSAプレイヤーの試合のレフリーって、どんなんだろう」という興味があったので、喜んでお受けした。結果、「自身の無能さ、非力さを知る」というとても良い経験をさせてもらえた。





今回のジャパンジュニアでは、レフリーをするつもりは全くなかった。レフリーボランティアには応募していないし、「レフリーします」という意志表示も(上に挙げた1件を除いて)していない。

先月の代表選考試合同様、「誰が、どんなプレイをするのかを観る」が私の目的だった。レフリーをすると、同時進行の他の試合が観られなくなってしまう。また、自分が担当した試合もジャッジに意識が集中するので、「この子はどうすればもっと強くなれるのか」といった視点はどうしても希薄になる。



それでも、大会運営の苦労を知っているので「レフリーお願いできますか」と依頼されたら断れない(過去に自身の体調不良で断ったことはあるけど)。「この試合はいつも一緒に練習してる人のだから…」というケースでは、依頼する方が気を使って私以外の人に当たってくれる。

「ジュニアの国際大会で、特に低年齢クラスの選手に『勝ちレフリー』をやれというのは、大会運営として間違っている。ちゃんとしたレフリーを用意すべきだ」と主張する者は、「じゃ、レフリーやってください」という依頼を断ることができない。

すべてのオファーを断らなかった結果、「レフリーとして一番働いた人(特に『質的に』)」になってしまったみたいだ。もちろん、無報酬である。






ここに明言しておく。

3月の全日本ジュニア時とは周囲の状況が変化したので、私は「強化・育成担当者の視点」でできるだけ多くの試合を観たかった。レフリーは「したくてした」わけではない。







どうやら「プレイヤーとしてはフレンド初戦敗退レベルだけど、(外国人選手とのコミュニケーション能力を含む)レフリーとしての技量が高い」方がいらっしゃるらしい。

「加納にレフリーをやらせるな」というご進言(意見書)は、私にとって大変ありがたいことである。今後はその方が、今回私が務めたレベルの試合のレフリーを、私に代わってやっていただけるということだろう。

で、私は「観たい試合を好きなように観させてもらう」、と。

それでみんながハッピーになれるのなら、とても良いことじゃないか。






昔は「読まずに食べた」手紙も、今ではEメールだから食べられないで読んでもらえるので「した」。
(うふっ♪)



  1. 2009/08/25(火) 21:51:22|
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ジャパンジュニア最終日 U17 Boys Final 遠藤共峻vs郡司颯 レビュー

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  1. 2009/08/24(月) 08:01:58|
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ジャパンジュニア最終日 動画スナップ

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  1. 2009/08/23(日) 23:52:52|
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業務連絡

ブロとも追加申請いただいた「けりーちゃ」様へ


すみません。
私、「ブロとも」という仕組みをよく理解しておりません。

リンクされている日記を見に行きましたが、なにも記事を書かれていないのでしょうか?



お手数ですが、実名フルネームを明記してteamkano@gmail.comまでメールをお願いします。


  1. 2009/08/23(日) 00:19:49|
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ジャパンジュニア2日目 動画スナップ

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  1. 2009/08/22(土) 22:06:18|
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ジャパンジュニア2日目レビュー  U13 Girls SF 渡邊聡美vs坂井日向子、U17 Boys SF 小林僚生vs郡司颯

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  1. 2009/08/22(土) 20:19:19|
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ジャパンジュニア2日目 U17 Boys QF遠藤共峻 vs C.Y.TANG(HKG) レビュー

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  1. 2009/08/22(土) 13:13:06|
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結果速報って、速さに意義があるんじゃないの?

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  1. 2009/08/22(土) 01:13:00|
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ジャパンジュニア1日目 動画スナップ

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  1. 2009/08/22(土) 00:55:01|
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ジャパンジュニア1日目 スナップショット

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  1. 2009/08/22(土) 00:44:07|
  2. スカッシュ

ジャパンジュニア1日目 小林僚生vsK.Y.CHEUNG レビュー

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  1. 2009/08/22(土) 00:03:45|
  2. スカッシュ

ジャパンジュニア1日目 B.ミッチェルvs寺井 レビュー

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  1. 2009/08/21(金) 23:47:53|
  2. スカッシュ

三部作 「欲望 Part2 (フリ編)」

公開前、かなり話題になった映画『おっぱいバレー』の興業成績は大コケだったらしい。




必然である。

新任教師の寺嶋美香子(綾瀬はるか)は臨時教師として三ケ崎中学校に赴任してくる。しかし、この学校に赴任する前の学校である事件を起こし生徒からの信頼を失い、教師としての自信も失いかけていた。

新しい学校に赴任して心機一転、美香子は男子バレーボール部の顧問になる。しかし、部員はやる気が無く、バレーボールすらまともに触ったことが無い部員ばかりで、女の子のことしか頭に無く常にHな妄想にふけっていた。さらに周りからは「キモ部」呼ばわりされていた。

そんな部員達を奮起させようと美香子は「あなた達が頑張ってくれるなら先生なんでもする」と宣言。すると部員達は「試合に勝ったら先生のおっぱいを見せてください」と言い出す。美香子は最初は断るが、いやいや約束してしまう。

それから、部員達は今までとは打って変わって練習に励む。美香子も部員達の熱意に応え、失いかけていた自信も取り戻していくが、「おっぱいは見せたくない、でも試合に勝って生徒達に勝つ喜びを教えてあげたい」という複雑な思いを抱えていた・・・・







こんなストーリーの映画が当たるワケがない。「子どもの欲望」を読み違えているからである。



確かに「綾瀬はるかのおっぱい」は魅力的なインセンティブだ。家元も見たい。試合に勝つとか負けるとかカンケーなく、ただただ見たい♪

が、子どもたちの欲望はインセンティブでは起動しないのだ。




イチローや松坂大輔は、「女子アナウンサーと結婚したいから」野球が上手くなったのか?


違う。
彼らは純粋に「野球が上手くなりたかった」。「1本でも多くヒットを打ちたい」から日々努力し、「よりスゴイ球を投げたい」から苦しいトレーニングを積み、あのような偉大なプレイヤーになったのだ。





タイガー・ウッズはオーガスタのグリーンジャケットを着たいから努力したのか?

高橋尚子は有名になりたいから、スタート時「あとたった42.195km走るだけでいいんだ」と思えるほどの過酷な高地トレーニングに耐えることができたのか?


断じてそうではない。
彼らは子どものころから純粋に「ゴルフが上手になること」「長距離を速く走ること」そのものを欲望してきたのだ。お金や名声、地位といったものは、その結果の副産物に過ぎない。



「プロ野球選手になれば、高い収入が得られ、女子アナと結婚できる」をモチベーションにしなければ努力できないレベルの少年は、決してプロ野球選手にはなれない。その程度の努力でプロになれるほど甘い世界ではない。




では何故「おっぱいバレー」は映画化されるにまでになったのか?

それは多くの大人たちが「インセンティブで、子どもの欲望は起動する」と思い込んでいるからだ。子どもたちの欲望を読み違えているのである。

子どもたちもまた、「経済的価値に換算できるもの」のみを欲望すると勘違いしているのである。そう思い込んでいると、「バレーボールがどれだけ上手いか」は、年収でしか計ることができない。

日本のバレーボール選手は、野球やゴルフ選手に比べて才能や努力が足りないのか? だから年収が低いのか?


そうではないだろう。
選手としての年収は、選手の才能や努力とは違う要因が決めている。だから、「頑張って野球が上手くなれば、高い年収が得られるわよ」と言うのは間違いなのだ。子どもとは本質的に、ただただ純粋に「野球が上手くなること」を欲望するの生き物なのである。




「スカッシュの日本チャンピオンになったって、ロクな収入得られないんだから…」などと言う大人が、日本スカッシュの強化を阻害している。子どもたちは、インセンティブを求めてスカッシュに取り組んでいるのではない。

子どもたちは純粋に「スカッシュが強くなること」を欲望している。「スカッシュが強くなることは、楽しい」と本能で理解しているのである。


だから、子どもの健全な育成を願う大人がすべきことは、「スカッシュが強くなると、こんなに楽しいんだよーん♪」という姿を子どもに見せることである。
そうすることで、より多くの子どもたちの欲望を起動させることができる。





(「オチ編」へつづく)


  1. 2009/08/21(金) 07:01:14|
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三部作 「欲望 Part2 (オチ編)」

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  1. 2009/08/21(金) 07:01:11|
  2. スカッシュ

三部作 「欲望 Part2 (オマケ編)」

「欲望 Part2 (フリ編)」を読んだ方は、「そっか。自分が『スカッシュしていて楽しい♪』という姿を子どもに見せることが、強化や普及につながるんだ」とご理解いただけるだろう。

この意味に於いて、マスターズカーニバルは、ジュニア育成・強化施策のひとつでもあるのだ。楽しそうだもんね、あれ☆



実行委員長の小幡さんとは、東北オープンのマスターズで対戦した程度の関わりしかないのだけど、家元の学生時代における春日井さんや小田切さんみたく「あんなジジイになりてぇー!」と思わせてくれる方なのだろうと思う。


この理論に拠れば、全日本の大会実行委員長やJSA会長は、日本スカッシュ界で一番「あんな大人になりたいっ!」と思わせてくれる人物のはずである、理論上は。


全日本大会実行委員長を務めるのは、ぞくぞくするような楽しい体験であり、JSA会長になるのは、楽しくて楽しくてわくわくしてしまう「はず」である。そうでなければならない。


あくまでも、理論上の話。。。。。。


  1. 2009/08/21(金) 07:00:58|
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翼あるもの (3)

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  1. 2009/08/20(木) 07:01:03|
  2. スカッシュ

翼あるもの (2)

内田樹が「学力のつけ方」について以下を書いている



学力とは読んで字の如く「学ぶ力」である。「学びに開かれてあること」のことであり、「学んで得た知識や技能や資格などなど」のことではない。それらはたかだか学力の副産物にすぎない。


「学ぶ力」というのは次のようなことを言う。

(1) 自分には知識や技術や見識や情報や、なんであれ、「大人」として遇されるためのものが欠如しているという感覚を有すること
(2) 自分にそれを与えてくれる「メンター」を探し求めるセンサーが起動していること
(3) 「メンター」を「教える気」にさせるための「パスワード」を知っていること

以上である。


無知の自覚、メンター、パスワード。これが「学ぶ力」を構成するすべてである。これさえあれば、人はどこでも、いつでも、学び始めることができる。



この三つの条件を言葉で言うとこうなる。

「学びたいんです。先生、教えてください。お願いします」

これだけ。これが「学力」という能力のすべてである。この言葉をさらりと口にすることのできる人間はほとんどあらゆる機会において学ぶべきことを学ぶことができる。簡単なことのようだが、けっこう(すごく)むずかしい。



第一に、「自分が知らないこと」が何かを言わなければならない。自分が何を知っているかを言うのは簡単だが、自分が何を知らないのかを言葉にするのはむずかしい。

「これから学ぶこと」は原理的にそれが何であるかを私が言えないことである(すらすら言えるなら、それは「これから学ぶこと」という定義に悖る)。それを言わなければならない。

この瞬間に学びのもっとも本質的な部分は起動する。「自分がそれを正確に指称する語彙をもたないことについて語る」という困難な作業が人間の知性にブレークスルーをもたらすからである。「ブレークスルーをしなければ太刀打ちできないようなタイプの負荷」を引き受けることなしにブレークスルーは始まらない。




第二の「メンター」については、これまで何度も書いた。

メンターというのは逆説的な存在である。私たちは自分が向かっている目的地がどこであるかを知らない(だから学ぶことを求めているのである)。にもかかわらず誰が私をそこに導いてくれるかを、旅を始める前の段階で言い当てなければならないのである。

「この人が私の師である」という決断は、さまざまな師の候補者たちを並べて、その能力識見を比較考量して、「この人がよかろう」と選ぶというものではない。師の能力識見が比較考量できるというなら、それはこれから学ぶことが何であるかを学び始める前にすでに熟知しているということであり、それは「学ぶ」という定義に悖る。

つまり、私たちは師の適格性についていかなる外的な判定基準ももたないままに、自分を目的地に連れて行ってくれる師を言い当てなければならないのである。「誰についていけばいいのか」それを教えてくれるいかなる手がかりも与えられないままに決定を下さなければならない。

このとき、私たちの心身の感度は限界を超えて高まる。それがすでに「学び」なのである。学びというのは「自分の限界を超える」という自己超克の緊張そのものを指すのであるから、メンターを探すというのは、その探求の行程そのものがすでに学びなのである。




第三、パスワード。

これは人をして「教えてもよい」という気分にさせるためには、なにをすればいいのかを思量することである。

ただし、メンターというのはその人の思考や感情や、総じて内的メカニズムが「よくわからない」人でなければならない。何を考えているか外からまるわかりで、どこのボタンをどう押せばどう反応するかわかっているので、簡単に操作できるような人のことは誰も「師」とは呼ばない。

どうすればどう反応するかわからない人に「教える気」にさせるにはどうすればいいのか。これは別にそれほどむずかしくない。上に書いたとおり、「お願いします」と言うだけである。

未知の土地を旅し、未知の習俗をもつ人々の間で、なんとか日常の用を弁じて生き延びるためには、その土地の人々からの支援を得なければならない。けれども、私はその土地の言葉を知らないとするとき、私たちはどうするか。

とりあえず自分の知る限りの「礼儀正しさ」、自分に思いつく限りの「敬意」の表現を試みるはずである。それがこの土地でも通用するかどうかはわからない。でも、自分がそれしか知らないなら、自分の知る「敬意の表現」を試みるはずである。「この土地ではいきなり横面をはり倒すのが敬意の表現かも知れないから、やってみよう」というようなことは考えない。

幕末の日本人は欧米の人が握手の手を差し出しても、お辞儀を繰り返した。相当数の日本人は手を握り返すのがあちらの礼儀なんじゃないかなと推理できたはずである。
でも、それを「実験」するのは慎重に避けた。それよりは自分たちにとって確実に敬意の表現であるところのみぶりを繰り返した。

なぜなら、長い人類の歴史の中で、さまざまな異族との遭遇の経験を通して、私たちは「敬意の表現はローカルなものであっても相手に伝わる」ということを知っているからである。ディセンシーというのはマインドのレベルの出来事である。それはどのように言語習俗が違っても、必ず相手に伝わる。

学びを起動させるパスワードは「パスワードを知りません。でも、パスワードを機能させたいんです」である。



学力はこの三つの条件から構成されている。現代日本人の学力が急速な劣化を遂げていることは、繰り返し申し上げているように教育プログラムの不備でも、教育力の欠如でも、日教組のサボタージュのせいでもない。

学力の劣化とは「学ぶ力」の劣化のことである。英語ができないとか漢字が書けないとか割り算ができないとか、そういうレベルのことではない。そのさらに根本にあるマインドの問題なのである。




内田樹の研究室 「指折り待ってた夏休み」より







内田が書いている「学ぶ力」は、そのまま「スカッシュが強くなる力」と置き換えることができる。


「スカッシュが強くなりたいんです。コーチ、教えてください。お願いします」

『翼あるもの』は、これがさらりと言える人間である。



「そんな言葉なら、私にだって言える!」と思われるだろうか。
だがこの言葉をパソコンの液晶モニターに向かってどれだけ叫んでも強くはなれない。内田が挙げた3つの条件を備えていることが必要だ。





第一の条件は、「自分はもっと強くなければならない」というおのれの非力や無能についての痛切な自覚があること。

「試合に出れば必ず結果が出る。優勝者以外は全て敗者」であるスカッシュの世界では、これはクリアし易い条件だろう。ただし、強くなるためには「何を学ぶべきか」を正しく知ることは難しい。





第二の条件は「あ、この人が私の『先生』だ、と直感する力」。

学ぶべきことがあるのはわかっているのだけれど、誰に教わったらいいのかわからない、という人は残念ながら「学力がない」人である。いくら意欲があっても、この能力がないと学びは始まらない。

ここでいう『先生』は、直接レッスンを受けるコーチだけに限らない。試合を観ていて「この人はフォームがキレイだな」や「この展開の作り方が効いてるぞ」、「あっ、今集中を切らしているな。ここで気持ちを切り替えて、もう一度集中しなくちゃ、このままズルズル負けてしまう」などといろんなプレイヤーを『先生に見立てる』ことが可能である。


だからそのためには、常住坐臥いつも先生を探してアンテナ感度を上げ、「先生センサー」が機能していることが必要だ。そして「スカッシュが強くなりたいんです。コーチ、教えてください。お願いします」という言葉は、『私の先生』に向かって発せられなければならない。

トッププレイヤーが試合をしている時に外でボールを蹴って遊んでいる(つまり、試合を観ていない)子どもには、「スカッシュが強くなる力」が備わっていない。「教えてくれる人に出会える力」がないのである。






そして第三の条件である「パスワードを持っていること」が、『翼あるもの』に共通して顕著にみられる資質である。





(つづく)

  1. 2009/08/19(水) 07:34:43|
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翼あるもの (1)

清水孝典がスカッシュを始めたのは、高校卒業を間近に控えた「2001年1月、地元の下関で」だった。

その年の初夏、広島に移り住むようになった清水と私は「練習仲間」になった。とは言っても、当時ジャパンランキング50位あたりだった私とはかなりの実力差があった。翌年1月末のローカル大会で対戦したとき、私は余裕で清水に勝っている。


だからその年の4月初め、郡司コーチから「加納さん、孝典とゲーム練習してあげてよ」と依頼された時も、「あっ、いいっすよ」と軽く請け負った。まだまだ「流しても勝てるさ」と高を括っていたからである。

だが、Best of 5 gamesで1ゲーム取られてしまった。「あれっ? こんなはずでは… オレの調子が悪いのかな?」と思ったが、何度やってもゲームカウントは3-1くらいだった。

そしてゴールデンウィークのころには、「必死に勝ちにいって」何とか3-2で退けるといったところまで差は縮まっていた。



その年(2002年)6月に行われた九州オープン、予選決勝で敗れた清水はラッキールーザーを引き当て、予選決勝の相手と再戦する。本戦1回戦でリベンジを果たした清水は、2回戦(相手は本戦1回戦で私がファイナル7-9で負けた選手)も勝ち、ベスト8入りを果たす。

この時点で清水は私の実力を越えた。わずか3ヶ月程度で、ランキング100位以下レベルから40位以内相当の実力へとジャンプアップした。







机伸之介のプレーを初めて生で観たのは、私が転勤で広島から神奈川に移り住んだ2003年4月、神奈川選手権でだった。机が中学2年になった年である。

私が2年ほど前に勝ったことのあるベテランプレーヤーにファイナルで勝ったその試合を観た印象は、「まだまだコイツには負けねぇな」だった。

だがその年7月、関東オープンでの机には「もしかしたらヤバイかも?」と思わされた。そして10月、コータコートでゲーム練習した時は、まったく歯が立たなかった。「翌年の関東オープンで本戦入りしたころと同等の実力があった私」が、である。





彼らの背中には翼が生えている。
ついこの間まで巣の中で親鳥が運んでくる餌をピーピー喚き立てながら口に入れていたヒナが、自身の翼で大空へ飛び出す瞬間を私は間近で目撃した。





渡邉聡美の小さな背中に、鋭くエッジの効いた「生えたての翼」があることに私が気付いたのは、今年3月後半のことだった。





(つづく)


  1. 2009/08/18(火) 12:30:21|
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夏休み日記 9日目

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夏休み日記 8日目

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夏休み日記 5日目

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パスワード化したんだから、これを公開しちゃってもいいってことだよね?

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  2. その他
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