










手軽に、簡単に、いろんな芸術作品やありがたい言葉やオリジナルな情報を享受できるようになった現代。
手に入れやすくなったからこそ、こちらからも手を伸ばして、もっとしっかり感謝や愛情を「伝える」ことをしないといけないのだと思う。彼らには心ない言葉もたくさん届いている。
それに負けないくらいたくさん「心ある言葉」を伝えないといけない。ここでも書いたが、意外と本人には伝わってない。誰かがきっと伝えてるよと思っても意外と誰も伝えていない。それどころかとっても孤独な状態にいたりする。それはきっとサイレント・マジョリティがサイレントのままでいるからだ。
加藤和彦は「これまでに作ってきた音楽というものが本当に必要だったのか」「死にたいと言うより生きていたくない、消えてしまいたい」と遺書に書いていたらしい。
居ても立ってもいられない気持ち。
もっとちゃんと伝えよう。
もっとちゃんと伝えないといけないと思う。彼ら彼女らとの距離が(ITテクノロジーによって)大幅に縮まった今だからこそ、シアワセをもらったらそれをちゃんと伝えないと。買うとか食べるとかいうだけでなく、もう一歩行動に移さないと。

エッジから離れたB地点は安全地帯ですので、崖から転落する心配はありません。
こういう場所にいる選手は、身の安全が保障された場所から、将のようにエッジに立つ選手の姿を眺めては、「ああでもない」「こうでもない」などと、まるで第三者的な意見を口にすることもあります。
時には「グラウンドのコンディションが悪かった」、あるいは相手のプレッシャーがキツいということは最初からわかっていたのに、「やっぱりプレスが速かった」など、自らエッジに立たない理由や、立てなかった理由を並べ立てたりするかもしれません。前を向いて勝負できるときにバックパスをして、後から「自分よりもいいポジションの味方がいたから、あえてパスを選択した」などと言い訳をすることもあるでしょう。
(布施努 『ホイッスル!勝利学』 90〜92ページ)
15年近くサイトをやっているわりには比較的「強烈な批判」や「誹謗中傷」が少ない方だと思うし、うれしいメールをいただくことの方が圧倒的に多いのだが(いつもありがとうございます)、それでもたまに激烈にイヤなメールが届く。うれしいメールをすべて打ち消すくらい激烈で悪意に満ちたメール。
もちろんこうして不特定多数を相手に文章を発表しているんだから仕方ない。世の中には自分と価値観が違う人がたくさんいるわけで、だからこそ人生は面白いわけで(みんなが同じ価値観な社会なんて面白くもなんともない)。まぁそれでも傷ついたり凹んだりするのだけど、しっかり受け止めるしかない。
こちらを成長させてくれたり、気づきを与えてくれる批判はありがたい。こちらの過ちを教えてくれたり、一方的だった見方を矯正してくれたりする意見もありがたい。誠意をもって返事を出すし、そういうメールのやりとりから親しくなった人もいる。いま一緒に「うまい店対談」をやっている伊藤さんも、最初は批判(意見)メールからだった。そして何回かやりとりしているうちに非常に親しくなったひとりである。
でも、ちゃんとこちらの書いたものを読まずに思い込みで批判してきたり、いちゃもんに近かったり、悪意丸出しだったり、あまりに筋違い・的外れだったりする批判も来る。これは(長い経験から)返事を出しても絶対わかりあえないことが多い。というか、返事を出してもそれに対する返事が来ないことが多い(ほぼ100%)。空しくなるので最近は返事も出さない。悪意溢れるメールやブログを書く人も固定されてきたので、最近は読まないことにしている。
とはいえ、心の準備もできてないときに突然の暴力のように殴りつけてくる激烈な悪意もあるわけで、それがいかに的外れで筋違いで自分に責任がないものだとしても、なかなかにこたえる。傷つくし落ち込むし、たまには寝込む(笑)。更新意欲はなくなるし、生きていくのもイヤになる。